Chronology
1988 28-29歳
グループ展「フィーリング・ハウス展」(三重県立美術館県民ギャラリー)、個展「Innocent Being」(ギャルリーユマニテ名古屋・東京)を経て、5月28日、予備校の生徒たちに見送られながら渡独。友人から引き継いだデュッセルドルフ・シューマン通り69番地の屋根裏部屋で暮らし始める。
語学学校ゲーテ・インスティチュートに3カ月間通い、受験準備の末、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに合格し、9月から正式に学生となる。入学後、入試で提出した作品が最高点だったことを、生徒会として選抜に立ち会った学生から聞く。
当時のデュッセルドルフはベルリンの壁崩壊前で、ドイツのアートシーンをリードする都市として活気があった。ドイツ語が十分に話せなかった奈良は、言葉にならない思いを絵で伝えようと努める。留学によってオールドマスターの名作を現地で鑑賞でき、現代アートの動向にも触れやすくなった一方で、美術の外側にある人々の営みに関心が向かい始める。
出典
- 小西「ロングインタビューーfor better or worse」『ユリイカ 総特集*奈良美智の世界』pp.82-83
- 『疾駆』10、pp.35, 37, 75-76
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社会の出来事
- 1988
- 3月、青函トンネル開業。青函連絡船が約80年の歴史に幕。4月、アフガン和平協定調印、翌5月にソ連軍が撤退。11月、『ちびくろサンボ』を刊行していた出版社各社が人種差別的との批判を受けて自主絶版。