Chronology

1991 31-32歳

ミヒャエル・ブーテの死去により、A. R. ペンクのクラスに転じる。学生たちは、ペンクが私費で郊外の工場跡に借りていたスタジオ(ルイーゼン通り25番地)を利用することができた。奈良も学生寮からこのスタジオへ拠点を移し、渡独後初めてここに電話を設置する。それまでは日本とのやり取りは国際郵便が中心で、とりわけ予備校時代の教え子から届く手紙が奈良を大いに励ました。
ペンクとは多くの話をしたわけではなかったが、「君は紙に絵を描く絵はとても良いのになぜカンヴァスの前になると身構えてしまうんだ。ドローイングをするようにカンヴァスに向き合えばいい」との助言を受け、複雑だった背景の描写をそぎ落とし、簡素なものにしていった。表現したいイメージとアカデミズムの方法論を結び付ける試行錯誤から生まれた絵画《Girl with the Knife in Her Hand》は、その後の作風を方向づけることになる。同作はアカデミーの学内展示で立体作品とともに発表された。この展示によって、若手作家の登竜門として知られていたケルンの著名なギャラリー、ギャラリー・ヨーネン・プルス・シャットルに見出される。
渡独後初めてとなる日本での個展「cogitationes cordium 心の中のいろいろな思い」(ギャルリーユマニテ名古屋)を開催。同展のレビューが雑誌『美術手帖』で初めて紹介される。

出典

  • 奈良美智、村上隆「村上隆×奈良美智 温泉対談【後編】」『美術手帖』美術出版社、52(790)、2001年、p.142
  • 加藤、宮村「語り下ろし・25000字インタヴュー:奈良美智、全活動を振り返る」『奈良美智完全読本 美術手帖全記事 1991-2013』pp.20-21
  • クーン、河野『終わらないものがたり』p.53
  • 『Casa BRUTUS:奈良美智と家』p.80

社会の出来事

1991
  • 11月、フレディ・マーキュリー死去。エイズへの偏見が社会問題となる。12月、ソ連が崩壊。同、マーストリヒト条約調印により欧州連合(EU)創設へ。
1992
  • 2月、日本政府がバブル景気の終結を認定。同、マーストリヒト条約調印により欧州連合(EU)創設へ。3月、英国サーチ・ギャラリーで「ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ(YBA)展」開催。4月、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が発生。6月、国連平和維持活動(PKO)協力法が成立。