Chronology
2011 51-52歳
3月11日、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が起こる。震災が起きた時、奈良はアトリエのある那須を車で走行中だった。那須と福島第一原発の距離は約100キロメートルであり、災害が現実のものとして強烈に実感された。自然の猛威や他者の悲しみ、苦しみを目の当たりにしたことで、奈良はこれまでの人生や創作の根源を見つめ直すことになる。震災のように命に直結する状況において、美術はまず優先されるものではない。そうした現実は、奈良に自分が何ができるのかを否応なく考えさせた。
また、インスピレーションの源となっていたパンクロックのカウンター性だけでなく、パンク以前の音楽に宿る支え合いの精神にも改めて共感を寄せる。こうした1960年代の音楽に見られるような連帯感は、奈良にとって社会の中で自分が何をすべきか、また地方とどのように関わっていくべきかを考えるうえで、重要なテーマとなっていった。
5月に避難所となったあづま総合体育館(福島市)で子供たちを対象にしたワークショップ「Koi 鯉 ハッピー ショー」を、6月には福島県立相馬東高等学校で美術部の生徒を対象にしたスライドレクチャーを行い、子供たちのまっすぐな姿が奈良にとって励みとなった。被災した人々とのSNSを介した交流によって実現したワークショップは、個々のつながりの大切さを強く印象づけるものとなった。
過去にタイのバンコクにおける反核デモに使用された経緯のあるドローイング《No Nukes》(1998年)の図像が、この頃から奈良公認のもと国内での反原発、脱原発のデモのプラカードにも用いられ始める。スリーマイル島の原子力発電所事故に対する反発運動で子供たちがプラカードを持ってデモをする写真から着想を得て描かれた同作は、制作から13年後、作品と重なる社会的状況の中で再び注目を集めることとなった。
被災地でもある水戸芸術館で震災後すぐに行われたグループ展「CAFE in Mito 2011―かかわりの色いろ」に参加。
8月末、初めてブロンズによる立体作品の制作に取り組む。母校である愛知県立芸術大学にビジティング・アーティストとして約半年間滞在し、ブロンズの原型となる塑像を制作する。粘土との格闘は、純粋に作品をエネルギーと向き合いたいという思いを原点としていた。
美術出版社から『奈良美智全作品集 1984–2010』が出版される。
出典
- 小西「ロングインタビューーfor better or worse」『ユリイカ 総特集*奈良美智の世界』pp.107-109
- 奈良「半生(仮)」『ユリイカ 総特集*奈良美智の世界』pp.249-252
- 加藤磨珠枝(聞き手)「奈良美智 ロングインタビュー」『美術手帖』美術出版社、64(973)、2012年、pp.34-35, 37-41
- クーン、河野『終わらないものがたり』pp.249-265, 302-304
社会の出来事
- 2011
- 3月、東日本大震災が発生。福島第一原発でメルトダウンが起こり、放射性物質が放出。9月、東京で「さようなら原発集会」に6万人が参加。